第69話    「釣の修業」   平成17年07月31日  

市内の安藤煙火店の息子さんは戦争で途絶えた花火の製造を再開すべく、高校を卒業してから長野県の花火工場へ5年の修業を経てようやく帰ってきた。地元で打ち上げる花火を地元で作って、打ち上げたいとの思いがあった。今夏(8月)の花火大会には間に合わない為のため、5月に長野県の花火工場に出向いて20個の8号玉を作って来たと云う。

「自分は不器用なので何度も何度も繰り返して覚えた」と語っている。一人前の花火師になるための修業では、身をもって覚える熟練こそが命である。使う方も仕事振りを見て次の段階を仕込む。始めの3年間は火薬の詰まった花火玉に紙を貼り付けるだけであった。4年目にしてやっと火薬を扱えるようになり、火薬の配合や玉詰めの作業を任されるようになった。火薬という危険物を扱う工場では、当然冷房や暖房の装置は無いところでの地味で辛い仕事である。

地元の花火は地元(実家の安藤煙火店)で作った花火を上げたいと云う、高校時代からの情熱、熱意が有ったからこそ出来たのであると思う。しかし、独立、営業してからが本当の意味での花火師として成功するかどうかが問われる。若き花火師にエールを上げたい。

庄内釣りの修行も花火と同じように一通り覚えるまでは最低5年くらいの時間を要する。自分でこれはと思う師匠を探し出して師弟関係の了承を貰うのだが、学校と異なり手取り足取り教えてもらう訳では無い。釣のマナーや釣り場での万が一の危険の対処方法や危険な場所を一応聞いてから、ただ黙々と師匠と釣行を共にして釣の技を盗む訳である。聞けば教えてくれるかも知れぬが、原則は師匠の技を盗むと云う事である。師匠もそれに対しての対価を求める訳ではないから、手取り足取り教える義務も無いのである。どちらかと云うと、弟子を持つ事は自分の釣の邪魔になるだけなのである。まして自分だけの秘密の釣り場も、すべて公開するのであるから嫌がる人もいる。自分で見て聴いてそして知りその業に馴れると云う事で、師匠の技の伝承が成されて来た。然るに新しい学校教育で育った者は手取り足取り教えても、それが出来なかった云い訳に、分かるように教えてくれなかった等と堂々と発言している者が如何に多いことか。一を聞いて十を知れと求めている訳ではない。「一を聞いて一を知る」で十分なのだ。ところで中には「一を聞いて二、三を知る」と云った天才的な人もいるが、そんな人は数が少ない。56年も過ぎると子弟の関係は続くものの、その付き合いは釣友達の様な関係で生涯続いて行く。師匠が亡くなれば形見分けと称し、庄内竿の名竿が何人かの弟子に引き継がれて行った。

釣を趣味とし釣の知識を貪欲に吸収したいと欲する者は、当然上達が早い。どうしても興味本位だけで覚えようとする者との差は歴然としてある。カーボン竿が出てきた頃を境にして、従来の師弟関係も廃れてきた。残念ながら素人の間に伝承されて来た釣竿の作り方も、極一部の人達だけの伝承になって来ている。




地元で毎週金曜日に発行されている無料新聞「コミュニティ新聞」(発行部数酒田〜鶴岡合わせて77000部)の独自の花火を作りたいと云う記事を拝見してこのコラムを書いている。この新聞は広告集でまかなわれており、発刊当初から無料でかなりの年数が立つが、今では完全に地元に密着したユニークな無料の新聞としてみんなに愛されている。